*** これで満足?

(トッズ護衛就任後:「愛する人は心も近く」の両思い)



 今日はレハトにとっては休日だ。外は晴れ渡っている。
 となると、ぽかぽか陽気の中庭を散歩でもしてんのが、いつものお約束なんだけど。

「って、護衛が護衛対象見失ってどうすんだっての」
 まずい、ヤバい、職務怠慢の大義名分を与えちゃったらじじいに即日殺される。あながち軽い冗談にもできないことを考えつつ、トッズは気配を探りながら中庭を歩いた。
 便宜上誰もが中庭と呼んではいるし、確かに城壁に囲まれた敷地内ではあるのだけれど、この城、そして前身であった砦は元々湖に浮かんでいた島に建造されている。つまりは自然が思う様に蔓延っていたところに、後から石造りの城壁やら城やら塔やら何やらが出来た訳で、通常の屋敷や神殿の中庭がそうであるように、計画され作られた「庭」ではない。
 要するに、無駄に広い。
 だから管理も行き届いていない。普段使われていない城の区画や動線から離れたところに至っては、樹齢の見当もつかないような立派な大木が、平気な顔でずんずん生えていたりもする。
 砦時代の名残を残すことで、歴史に対する敬意を払う……って訳でもないか。単にそれを言い訳にしてそのまんまなだけね。多分。
 どうでもいいことをつらつら考えながら、トッズはレハトの好みそうな道や、ところによっては道以外の場所に足を進めていたが、とある一角、やはり放置されて野趣溢れている景色の中にふと違和感を覚えた。ぐるりと辺りを見回せば、あっさりとその理由は見つかる。見つけて、一瞬唖然とした。
 感じた違和感の正体は、色だった。
 頭上高く、わさわさ繁った緑の枝の狭間に、小さな白い掌が生えている。

 
「……うわ、レハト様、大物」
「あはははは。いらっしゃい、トッズ」
 登ってくるの見えてたよ、と手を挙げる子供を見て、トッズは苦笑する。
 自分だけならこんなとこまで登ってたまるか、と思うような位置で、トッズの主はにこにこ笑っていた。この高さでも大人の胴体ほどはありそうな枝に、ちょこんと子供が腰掛けている様子はどこか現実離れしている。周囲はたっぷりと葉をつけた梢に囲まれて、洞のような空間が出来ていた。ちょっとした基地だ。
 よいせ、とレハトの座る枝にトッズも体を持ち上げ、ついでに幹に背を預けて足を組む。試しにおいでおいでと手招きしてみると、子供は素直にやって来て、胡坐の上にひょいと腰を下ろし、トッズの胸に背中を預けた。
「かくれんぼしてたわりに、ご機嫌は麗しいみたいね」
「ん、うん。気持ちのいい日だからね」
 生い茂る葉に切り抜かれたその向こうに、中庭の景色と、城と、青い空が覗く。時折、小鳥のさえずる声が聞こえる以外には風の音すら聞こえてこない。
 静かで穏やかな、金色の午後だ。
 天から惜しみなく降り注ぐ黄金色の光は、取り囲む梢と木の葉に遮られて、それでもちらちらと二人の上にこぼれている。自分の膝の上に置かれた、白い手の甲の上に光の染みが落ちる。そこをなんとなく撫でてやると、レハトはくすぐったそうに喉の奥で笑った。
「ね、レハト。今度の市来る?」
「行く!」
「よーし。じゃあお前さんの好きなお菓子用意しときますねー。んでゆーっくりお話しましょ」
「ん、楽しみ」
 微笑むレハトの顔にも木漏れ日がこぼれる。その額の上に、陽の光とは少し違う輝きがあった。トッズは思わず目を細める。
 市で会っていた時には、まだ知らなかった、その印のかたち。
「……ついこないだまでのことなのに、随分遠くな気がするなぁ」
「こないだって?」
「護衛と寵愛者様じゃなくて、商人さんと、お客さんだった頃」
「ああ、密偵さんと獲物さんだった頃」
「今俺がこっそり未だに抱えてた罪悪感のために胸が破れそうなんだけど」
「え、だってそっちの方がいいよ。トッズが越えてくれた障害の高さを思うと」
「……レハトってば本当に大物ね……知るたびになんかこう……惚れ直すというか……」
 思わず遠い目をするトッズに、レハトは少し考えるそぶりを見せる。そうして、おずおずと尋ねてきた。
「トッズは、前の方がいい?普通にお喋り出来てた頃の方が」
「え、そりゃあ、こっちのがいいに決まってますって!だって一番近くでレハトを守れるしー」
 ぎゅうと腕の中の体を抱きしめると、わ、わ、と慌てたような声が聞こえたが気にしない。
「こんなことも出来るし?」
 そう言って目を覗き込むと、レハトは困ったように眉を寄せた。
「……でも、この城から出られない」
「あー…」
 そこを気にしてたのか。ひょっとしたら、ずっと。目を伏せるレハトの頭をよしよしと撫でてやる。
 馬鹿だね、この子は。
「そんなのはとりあえずいいの。今幸せだから」
「……本当に?」
「お前に誓って」
「うわ!恥ずかしい!」
「あれー、俺はいつだって本気の本気よ?」
 知ってるよ知ってるから恥ずかしいんだよ、とぶつぶつ言うレハトの耳に唇を寄せて、囁いた。
 駄目押し。
「だって、レハトが今現在俺にとっての幸福そのものだから、ね」
 頬を染めて黙り込んだレハトの頭を、トッズはぽんぽんと叩いた。
 ここから出られないのは、別にレハトのせいじゃない。
「自分のしたいようにやれて、一度は諦めた命まで拾えたんだから儲けもんよ。こーんな最高に可愛いご主人様まで出来たんだし?」
 おまけに、こうして触れることも許されている。
 今は、まだ。
 ……木漏れ日に包まれて、暖かな体温を抱えていると、問答無用に穏やかな気持ちになる。ついでにとろりと眠気が襲ってくる。実にいい場所を見つけたもんだ、とトッズは内心でレハトを褒めた。ここで昼寝でもすれば、ものすごくいい夢が見られそう。熟睡しすぎて落っこちさえしなけりゃ。
「んー、そうだなぁ……。ね、レハト。いい夢を見続ける為の方法って知ってる?」
 眠気のせいで指先がほわりと熱を持っている。何の話だ、と見上げてくるレハトの瞼を、その指で撫でた。
「二つほどご教授しましょうか。ひとつは、瞼を閉じていること。それが夢だと気付いても、気付かないふりをすること」
 レハトはすい、と目を眇めた。賢い子供は話が早くて助かる。
「……もうひとつの方法は?」
「そっちは難易度高いからね、宿題にしとこっか」
「ずっる……!」
「大人だからねー」
 唇を尖らせるレハトに、トッズは笑った。
 そんな顔されても可愛いらしいだけですよ、坊っちゃん。
 でもねー、なかなかね。
 可愛いだけの坊やのままじゃ、いてくれないんだよね。
「ね、レハト。俺は大人だからね、時間の大切さってのを知ってるよ」
 移りゆく時間の、続かない時間の、変わっていく時間の。機を逃せば事は成らず、良き時は全て終わりを告げて、一度変化したものは、永久に元には戻らない。
 なら、だからこそ。
「とりあえず、今は今で今を全力で楽しむってのはいかがでしょう?」
 じいっとこちらを見つめるレハトに、トッズはにんまりとした笑顔を作ってやった。途端にレハトは不満げな顔をしたが、しばらくそのまま見つめ合っていると、諦めたように視線を外す。
「トッズは前向きなのか後ろ向きなのか、よくわかんないよね」
「そう?俺は前でも後ろでもなくレハトの方を常に向いてるつもりよ?」
「それはもういいから。……うん、いい。わかった。今を楽しむ」
 レハトはするりとトッズの腕を抜け出した。そのままくるりと向き直り、幹に手と膝をついて、ずい、と顔を寄せてくる。
「という訳で、こないだ食堂にね、土豚の腿を一本丸ごと燻製にしたやつが、大量に仕入れられてたのを見たんだけど」
「あ、俺も見た。あれは絶対美味いわ。ナイフで薄く削いでそのまま舌に乗せると脂がもう絶品ね」
「で、果実酒もどんと数十箱単位でまとめ買いされているのも見たんだけど」
「……レハトさん、レハトさん。そっちは程ほどのがいいんじゃないかなー?」
「でも数本だけ抜くとすぐバレるよ。だったら、いっそ箱ひとつごと消えた方が!」
 手段のために目的を見失ってるように見せて、きちんと目的を設定した上での手段を提案するレハトに眠気も吹っ飛ばされる。勘弁してほしい。今度こそ理性が持たない。というか、どこに隠すつもりなのその腿と箱は。
 でも何だか、やたらきらきら目を輝かせたレハトの顔を見ていると、もっと喜ばせたくなってくるのだから、もう始末に終えない。自分が。


 ずっと夢の中にいる為の方法。瞼を閉じていること。それが夢だと気付いても、気付かないふりをすること。今ここに在る現実が、既にいつか望んだ夢の中にいるようなものだと、そう信じること。
 真実それはそうなのだけど、それだけじゃもう足りないことに、残念ながらトッズは気がついていた。気がついてしまえば、もうそこでおしまいだ。自分を騙せない。
 宿題にしたもうひとつの方法は、多分レハトもすぐに気付く。
 逆だ。
 夢から醒めた現実を、見ていた夢と同じに変えること。続かない時間を、無理矢理にでも続けてしまうこと。
 今は今で全力で楽しむとしても、それだけじゃ足りない。
 この子供はこれから、どんどんたくさんのことを知っていく。色々な顔を見せるようになる。
 もっといろんな表情が見たい。
 その顔を、自分の記憶にだけ残したい。

 全部、俺のだ。
 俺の。
 俺だけの。


「あ、そういえばね、すぐに食事に出す分として箱開けて出してたやつは、もう一本抜いて飲んじゃったから、そっちもそれ以上減らすと気付かれるから駄目だね」
「上機嫌の理由ってそれ!?」
「すっごく美味しかった!」


 幸福の、一番恐ろしいところ。
 どんな理由をつけてでも、どんな手段をとってでも、何を引き換えにしてでも。
 一度味をしめてしまえば、もうそれ無しではいられない。



"It's so delicious !"

2009.10.08

トッズ慰安。
のつもりで書いてたら微妙に薄暗くなった上にそれを凌ぐ勢いで調子に乗られた。
と思ったらレハトは更にその上をいってた。