*** 生まれたて
(「最後の日」トッズ選択:「一緒に逃げる」選択後)
「じゃーん。俺の秘密基地その六でーす」 トッズに手を引かれて連れて来られたのは、茂みと木々の枝に埋もれた、土に還りかけている小さな東屋だった。扉も外れて地面に倒れているけれど、壁と屋根はある。辛うじて。一から五は何処にあるのか少し気になったけど、すたすたと入っていくトッズに続き、入り口から中を覗き込む。薄暗いけれど、崩れている土壁の穴から陽光が、かつては整然と並んでいたのだろう床石(今は乱雑に転がる平たい石だ)の上に零れていた。
トッズはしゃがみこむと石をひとつ持ち上げ、その下の土を払った。そこに埋められていた袋をよいせと引っ張り出すと、腰を下ろして袋の口を広げる。 中から出てきたのは、何やら描かれた図面だった。ちょいちょいと手招きされて僕も石の上に腰を下ろし、広げられた図を覗き込む。いくつもの四角、たまに曲線と円。小さな文字で書き込まれた注釈。 「……あ!」 何が描かれているのかを理解し、驚いて顔を上げた僕を見て、トッズはにんまりと笑った。 「さて、レハト。楽しい楽しい内緒のお話をしましょうか」 「死んでもらわなきゃいけない」と言われた時には、面くらいはしたものの、すぐに意味は理解した。偽装自殺だ。寵愛者の存在そのものを消してしまうこと。 けれど意味が理解できたからといって、その手段を考えるのも実行するのも全然別だ。どうしようと黙り込む僕の頭を、トッズはくしゃくしゃとなだめるように撫でた。 「まあとりあえずここじゃなんだから、こっちこっち」 そうして連れてこられたのがここだった。目の前に広げられたのは神殿内の詳細な見取り図。明日、僕が唯一、王の手から離れて神殿に委ねられる場所。世の中に絶望した寵愛者は露台から湖へと飛び込んで、遺体は上がらなかったという筋書き。世間はともかくリリアノやヴァイルを騙しおおせるとは正直思えないけれど、少なくとも、遠くへ逃げる為の機会は作れる。 それにしても、準備がいい。流石というか、何というか。いつから用意してたんだろう。というか、ここまで準備万端にしておいて、万が一僕が頷かなかったらどうする気だったんだろう。 物悲しい想像はとりあえず脇に置いておいて、僕は図面を覗き込み、頭に叩き込んだ道順をもう一度なぞった。神殿内で迷ったりしたら、悲しいどころの騒ぎじゃ済まない。 礼拝堂まではどのみち引率があるのだからいいとして。……あ。 「あ」 「ん?どしたの?」 声に出た。一心不乱に地図を見つめる僕を見守っていたトッズに顔を覗き込まれる。真顔だ。それはそうだ、これは遊びじゃないんだから。 「ううん、その、大したことじゃないんだけど」 「そういうのこそ今言っといて。何が命取りになるかわかんないんだから」 命取り。洒落にならない。本当に大したことじゃないけれど、そう言われては伝えない訳にもいかない。 「……成人の儀、すっぽかすことになるんだな、って」 自分の性別を神に宣誓し、決定する為の儀式。それをしないと僕達は大人にはなれない。宣誓をせずに分化の時を迎え、なりそこなって死んだ、という話も聞いたことがある。 「あー、そっか。そうねー。やっぱ気になる?嫌?」 首を傾げられて、慌てて首を横に振った。 「いや全然。ちょっと思っただけ」 なりそこなうことが怖い訳じゃない。そもそもそんな話、信じてもいない。今はそんなことよりもっと怖いものが他にある。んー、と首を傾げて何やら考えていたトッズが、にやっと笑った。 「じゃ、今済ませちゃう?」 「え?神殿で?」 「ここで」 「ここで!?」 「一日ぐらい早くたってどうってことないでしょ」 「……そういうもの?」 「そういうもんじゃない?だってね、俺は神殿で神サマに宣誓した覚えなんかありませんよ」 でもまあご覧の通り一人前ね。と、トッズは両手をひらひらさせる。 「要はなんというの、気合?覚悟かな?どっちになるってしっかり心が決まってれば、勝手に体がついてくんじゃないのかね、よくわかんないけど」 そう言うとトッズはいきなり、ずいと顔を寄せてきた。反射的に身を引いた僕の肩が、そっと掴まれる。鼻先に唇で触れられて、優しく囁かれた。 「で、心は決まってる?」 ……それを言わせたかったのか。 わくわくと僕を見つめる期待に満ちた眼差しに、ひとつため息を返して、肩に置かれた手を外してやる。ありゃ、という声が聞こえた。苦笑しながら手を引こうとするトッズに微笑んで、逃がさずぎゅっと握り締める。ご期待に応えてあげよう。 「決まってます」 一瞬きょとんとしたトッズは、そのままくしゃりと笑った。そのままいそいそと手を握ってくれる。柔らかく絡めた指は、とても熱い。 「……じゃ、眼を閉じて」 囁く声に素直に眼を瞑る。何も聞こえてこない。トッズと僕の呼吸の音だけ。ここはとても静かだ。城の片隅の、打ち捨てられたあばら屋。トッズの秘密の場所。ここでひとりで、彼は準備をしていた。今日この日に僕をここに連れてくることを信じて。 そのことを考えると、玉座の前でリリアノに会う時よりも、神殿で神に祈る時よりも、ずっとずっと身の引き締まる思いがする。 「レハトは、どっちを選ぶ?」 「女に」 迷わず返事をして、瞼を開くとトッズの顔がある。僕が好きな人。僕を好きな人。 必要なのは、応える覚悟だ。 「男である貴方に添う、女になります。だから、その」 トッズの望みに。僕の意思に。 「ぼ……じゃない、私を、トッズのお嫁さんにして下さい」 その時見たトッズの顔は、ずっと覚えていたいと思う。
礼拝堂の前に着いた。肝心なのはここからだ。 美しい意匠の施された大きな扉が、僕の小さな体を見下ろす。楔石の左右に彫りこまれている手は、アネキウスの手。 ……この扉を開き、成人の儀を終えれば、待つのは長い篭りの期。そして、その先は王の示した道を歩む。ちらりとそうした考えが頭をよぎった。 そうすれば、少なくとも、トッズが処刑場に引き出される、在り得る最悪の可能性は消える。待っているのは追われることもない、逃げることもない、平穏な未来。 けれどもトッズがそれを望んでいないことはわかっていた。自分がそうしないことも。 神は性別を持たないというけれど、なら、人は皆、神と同じものだったんだろう。そしてどちらかの道を捨てて、どちらかの道を進む。神と同じ場所から降りて、人として歩き出す。 僕は、選んだ。 神が差し伸べる手を見上げて、心の中でそっと呟く。 私はもうトッズの奥さんだから、他のものにはなりません。 さようなら、神さま。 今、ここからだ。 自分で選んだ、在るべき場所へたどり着くための戦いの始まり。 私はひとつ息を吸って、地面を蹴って駆け出した。
"Good bye,
my cradle."
2009.10.03 ゆりかごの拒否。しかも猛烈に。 |