*** メビウスの輪っか

(「父と名乗る男」時トッズ好愛29以下:好感度「親友以上を望み」:印象値「心穏やかな愛」)



 ……ごめんな。

 抱きとめた身体は、驚くほど軽かった。


 え?寵愛者様のこと?よく知ってるんだろうって、ええそうですよ、あの坊ちゃんのことならそれはそれはもうよーく知ってますよー。この数ヶ月ずっと眼を離さず傍に居たんですからね俺は。市の日だけじゃなく毎日のように会ってたね。商人仕込みの交渉術個人授業!なーんてしてやってさ。先生、なんて無理矢理呼ばせて。
 あの城の誰も知らないだろう話や、見たこともないだろう顔も全部聞き出して引き出してきましたよ。直接話してもらったこともあったし、まあ本人の知らないところでもね。色々ね。基本的に憎まれ口ばっか叩いて可愛くないんだけど、特にあの王子様との舌戦なんか見てると無茶苦茶憎たらしかったもんだけど、あ、まあそれは鍛えた俺も俺か。そんなタマでも所詮田舎の子だからね。たまーにぽろっと素直なとこがあるから、赤子の手を捻るようなもんでしたとも。はは。
 ああそうだ。真っ青な顔して中庭に走っていくもんだから、何があったかそれとも何かあるのかと思って尾けてみたら、食ったばかりだろう朝飯を全部地面にぶちまけてたとこも見ちゃったっけ。ネチネチ毎日嫌味な視線と言葉を浴びせられてたら、そりゃあマトモな神経の奴なら胃だってやられるだろうさ。誰にも見られたくなかっただろうけど、俺は見ちゃったもんね。バツ悪そーな顔でこっそり埋めてたけど。色んなもんに負けるのが嫌いで、人に泣き言言えないで一人で溜め込むから、そういうことになる。
 そんな普段からストレスの多い坊ちゃんだから、俺のお誘いにも少し迷ったけど、それでも悪戯を企むような笑顔で乗ってきた。不用心だったけど、おまけに取り返しのつかない大失敗だった訳だけど、それだけ俺は寵愛者様の信頼を勝ち得てたってこと。この軽口ばっかの胡散臭い商人のトッズさんが、ですよ。誰より近くに居た筈の侍従頭のじじいよりも、可愛い笑顔の侍従の娘さんよりも。笑っちゃうよね。
 つまり、あの城の中には誰も、あいつの味方は居なかったってことだもの。あれだけ人がいるのに、ただの一人も。
 素直じゃなくて意地っ張りで、弱音もそう簡単に吐けやしない子供が、あの無駄にだだっ広い、だけど紛うことなき檻の中、どれだけ追い詰められてたか。
 そうでなきゃ俺なんかに懐くもんか。あの子供は本当は、まあちょっと抜けてるとこはあるけど、頭がくるくる良く回るんだから。
 今頃はもうとっくに、俺との出会いから会話から、何もかも記憶から引っ張り出して、俺のろくでもない正体なんか十二分に了承済みの筈。自分を売り飛ばす為にさも親しげな顔をして近づいた、汚らわしい犬。
 初めから友達なんかじゃなかった。今度こそ、本当に、ひとりぼっち。
 レハトの気性は誰より知ってる。
 今頃、腸ぐつぐつ煮えくり返ってる。
 俺のことなんか、八つ裂きにしたくなってる頃だろう。



 じゃ、ちょっくら八つ裂きにされるとしますかね。
 トッズは音もなく部屋に滑り込み、鍵を内側からかけて寝台に近づくと、手にした灯明を床に置いた。寝台がちらちらと橙色の光に浮かんで揺れる。その上で、子供が布団に包まっていた。どうやら深く眠っているようだ。
 まあ今出来ることは、ふて寝ぐらいしかないだろう。正しい。
 トッズは身体を丸めて眠るレハトの顔をしげしげと眺めた。流石に寝顔を見るのは初めてだ。やっぱり少し痩せたように見える。寝ててくれて助かった。色々と心の準備が出来る。
 お仕事も無事に完璧に首尾よく終えて、二度とこの顔見ることもないと思ってたのに、何だってまた会わなきゃいけないんだか。
 ……それもこれも「寵愛者がまるで飯を食わないからお前なんとかしろ」と、頭があったかいとしか思えない命令が来たせいだ。単にストレスが胃に来るタイプなんです、食べ物を粗末にすんのは嫌ってますから、消化に良い、よく煮込んだスープでも与えとけば大丈夫、と親切に丁寧にアドバイスしてやったのに「そこまでわかってんならお前が面倒見ろ」とは何事だ。ふざけんな馬鹿。あいつを手ひどく裏切って売り飛ばした張本人なんですよこのトッズさんは。俺のツラなんか見たらますます飯が喉を通らなくなるのが当たり前でしょうが。あーあーというかもう子守係任命ですか俺。やっぱさっさとトンズラすっかな。これからどんどんこの国は荒れまくるから、食い扶持にも事欠かないだろうし。今回の報酬があれば相当の間は贅沢しても充分食いつなげるし。
 それでもさっくり部屋の鍵を受け取ってしまったのは、どうにも落ち着かなくなったからだ。
 あの軽い身体がますます軽くなっている。


 飽きずにまじまじ眺めていると、気配を感じたのか視線を感じたのか、眠る子供がふ、と息を漏らす。そのまま見守っていると、ゆるゆると眼が開いた。
 ……さて、と。
 トッズは息をひとつ吸うと、殊更普通の声を出す。
「よ。レハト。ひっさしぶりー。起きた?」
 横を向いて寝ていたレハトは素晴らしい反射神経でもって、がばりと寝返りを打ち身体を起こそうとしたが、くうと唸ると少し頭を浮かせただけで、再び頭を寝台に沈めた。ぎゅっと眼を瞑る。眩暈がするんだろう。
 そりゃ三日もまともに食ってなかったらそうなるよね。貧血です。
 身体もひどく重い筈だ。オッケーいきなり飛び掛られて首を締め上げられることはなさそう、されてもどうにでも出来そうと判断すると、トッズは腰をかがめてレハトの顔を覗き込んだ。
 眼が合った。信じられない、とでもいうような、驚いた顔。見開かれた瞳。この顔は知っている。羽交い絞めにして薬で意識を奪う直前に見た顔だ。同じだ。
「良く寝てたねー。いい夢みれた?」
 眼を伏せる代わりに言葉を紡ぐ。声を偽るのは簡単だ。眼はそうもいかない。
「それとも、二度と起きたくなかった?どう考えても、こっちの方が悪い夢としか思えないんじゃない?そりゃそうだよねー、こんな暗い狭い辛気臭い屋敷の中じゃ」
 おまけにこの部屋には窓すらない。寵愛してくださる筈の神様の光もこれじゃ届かないだろう。そっと横へ逸らした視線の先で、細い指が敷布を握ったのが見えた。
「……ね、でもレハト、考えてみな?お前さんあそこも嫌いだったろ?偉そうな貴族共も、得体の知れない不気味な好意を押しつけてくるもう一人の寵愛者さんも、自分の無能を棚上げして嫌味言ってくる王子様も、王にしてくれる気もないのにお前をただ城に閉じ込めておく王様も」
 レハトの頭の横に手を突いてかがみこみ、顔を近付ける。レハトはもう動かない。覆いかぶさる自分の影で、表情も隠れて見えない。トッズは少し安心した。今更顔なんかまともに見られたもんか。
「お前自身を見てるんじゃない、その額の印を見ている奴らの何もかもが大嫌いだったよね。腹が立ったでしょ。出たがってた。あそこから。ねぇ、だから俺は思ったよ、どうせ檻から檻へ移すだけなら、あそこよりもこっちの方がお前さんにとっちゃあマシなんじゃないのかなーってね」
 体重を預けた寝台がぎしりと鳴った。更に顔を近づける。
 もっと近くにいかないと。俺の声が直接、脳みそに響いて揺らすぐらいに。
「もうひとりと比べられることもない、唯一の正当な寵愛者様として大事にしてくれるよ?そりゃあ今はいいように利用されるだけかもしんないけど、お前さんは賢い子だもの。きっとこれからもっと利口になる。強くなる。うん、ずっとお前さんを見てた俺が言うんだから間違いない。きっとそうなる。そうなれば、利用されるのはどっちかな?」
 静かに、じわりと染み込むような声でもって、絡みつくように。愛おしむように。耳朶に唇が触れるような距離で直接言葉を注いでやると、レハトの肩がひくりと動いた。
 ね、俺の声を聞いて。そのまま聞け。信じなくてもいい。聞けばわかるだろ、お前さんなら。
 怒ったよね、レハト。俺が憎いんでしょ。ならその怒りを力に変えればいい。
「ねえレハト。どこからが悪夢の始まりなんだと思う?俺にかどわかされたところ?俺にうっかり会っちゃったところ?それとも城に攫われてきたところ?いっそ印を持って生まれついたことからかな?夢ならいつか覚めるけど、現実からは逃げられないよ?レハト、起きちゃったことはもう取り返しがつかない、そりゃあもう絶望的なぐらいに。ね、賢いお前さんならわかるよね?これからどうするのが一番いいのか。お前はずっと我慢してきた。耐えてきた。そろそろ、もうお前さんの好きなようにしちゃってもいいんじゃない?何もかもしたいように、お前の望むままに」
 城も国も神も俺も全部、お前を傷つけるばかりの何もかもを、今度はお前が。
 頬に触れてやると、びくりとレハトの身体が撥ねた。そのまま乱れた前髪を梳いてやると、綺麗な形の額に、ほのかに印が浮かび上がって見える。
 そうしないと、お前は。


 自分でも気付かないまま、息を詰めて様子を伺っているトッズの身体の下で、はあ、と細い息が零れた。
 ……ため息?

「そうする」
 掠れた、けれどしっかりした声が聞こえた次の瞬間には細い手がするりとトッズへ伸びてきた。咄嗟に払い落としそうになったのを堪えると、予想に反して小さな掌は喉元に食い込まず、しっかりとトッズの頭を抱きこむ。
 全身がぞわ、と震えた。
 何だ、これ。
「……レハト?」
 寝起きでこもったレハトの匂いが鼻をくすぐる。女とはまた違う甘さ。子供の、柔らかな小さな生き物の熱の匂い。眩暈がして抵抗も出来ず、気がついたらそのまま抱きしめられていた。
 抱きしめられている。抱きしめている。レハトが。あの意地っ張りで素直じゃなくて用心深くて受けた屈辱は三倍返しのレハトが。俺を誰より憎んでいる筈のレハトが。この俺を。
 気が触れた?嫌がらせ?それとも俺を騙し返す気?たらしこんで絆す意図満々?それともこのまま喉でも食い破る?それとも、まさか。まさか。
 ぐるぐると頭の中を、今この状態から想像されるレハトの心理状態予想案がいくつも回るけれど、回るだけでちっともまとまらない。眼を覗けば大抵のことはわかるのに、肩に顔を埋められてはそれも出来ない。獣の子供が親に甘えるように、鼻先をこすりつけて。
「トッズ」
 おまけに名前なんか呼ばれるものだからますます混乱する。知り尽くしたと思っていた子供のことが、もうまるでわからない。壁の向こうへ行ってしまったみたいだ。こんなに近くにいるのに。今俺の胸の中にいるのに。
 今わかるのはレハトの細い熱い身体と、しがみつく腕の強さだけ。
 俺はレハトの何を見てた?


 腹の底からせり上げてくる熱い熱い塊を、トッズは無理に飲み込んだ。代わりに眼の奥がちくりと熱を持って痛んだが、それも堪えた。
 今更、こんなもの、吐き出してたまるか。



"You should xxxx me."

2009.09.28

レハトの望み→とりあえずは中日告白断念(五回分)のウサ晴らし。あとで一発ぶん殴る。