*** ぽた、ぽた、

(トッズ憎悪EDverA:一人称「私」:性別「女」選択)



 また、見てる。

 寝台の上で寝返りを打ち、枕で顔を隠した。いつの間にか雨が降り出したのだろう。滴が露台の床で弾ける音が耳を打つ。静かな雨音に耳を傾けながら、体中で視線を感じ取ろうと神経を研ぎ澄ますと、夜着に包まれた肌が、そわりと粟立った。
 彼の視線は雨のようだと思う。全身で受ければ芯から凍えていく冷たさであっても、それはやはり間違いなく恵みなのだ。私にとっては。
 タナッセあたりに聞かれたら全身全霊を尽くして罵倒されそうな稚拙な比喩だな、と思うと唇が自然と吊りあがる。この城に来て、もう長い。色々なことを色々な人が教えてくれたけれど、誰にだって苦手なことがある。情緒や感性を必要とする分野は壊滅的だった。詩作とか、ダンスとか。代わりに技巧で誤魔化す術を覚えたけど。流石は寵愛者と称えられても、所詮煌びやかな布を表面に貼り付けただけの木彫りの人形だ。
 どうにもおかしくなってきて、くすくす笑いたい衝動を抑えるのに一苦労したが、どうにか布団の中の身じろぎ一つで済ませた。不自然なところはなかっただろうか。彼が見たいのは「俺の視線に怯える可愛いレハト」であって、間違っても深夜の寝台でひとり笑いをしている不気味な女ではない。筈だ。がっかりさせたくないものね、とぼんやり思う。

 交渉術ってのはね、単に言葉のやりとりでどーにかってもんじゃない。言葉はあくまで相手の思考を縛ったり誘導したり煽ったりするためのもんよ。
 本気で相手を動かそうと思うんなら、大事なのは、声で揺さぶること。視線で伝えること。ここ肝心ね。

 城に来た初めの一年、私は必死で次々に詰め込まれる知識を消化し、飲み込み、自分のものにしようとした。しなくてはいけなかった。彼はそれを手伝おうと申し出てくれた。初めはただ一緒にいられるのが嬉しくて、一も二もなく承知したが、学べば学ぶほど面白くなった。
 彼の言葉は鮮やかで鋭く、声音は脅すようにも、絡めとるようにも、慈しむようにも変化した。視線は彼が何を望んでいるのか雄弁に伝えた。
 剣も盾も要らない戦。自ら叩き込んだ交渉術の真髄とやらを、今再び実践して見せてくれているのだとしたら、なんて親切な教師だろう。確かに彼は過たず、言葉で、声で、視線で自分を縛り、揺らし、伝える。彼の心を。偽らぬ思いを。

 あいしてるよ、レハト。

 向けられる心の底からの憎悪と、氷のような視線に怯え、苦しんだ時間はそんなに長くはなかった。信じてくれなかった彼を恨み、それ以上に信じさせることが出来なかった自分を憎んで悲しんで悔やんで。死ぬまで続くとも思われた、千々に乱れて裂かれる嵐のような苦しみの後に、唐突に凪が来た。それはもう、それまで身悶えた時間が嘘だったかのように。あまりの穏やかさに逆に動揺するぐらいに。
 どうにも私の神経は図太く出来ているらしい。どんなことにも慣れるし、適応出来る。
 そうなってしまってからは彼の突然の来訪も絡みつくような視線も、私の心を抉ることはなかった。ただ、彼の姿を見ることが出来ることを喜んだ。会えることを。声が聞けることを。ほんの少し前まで、そうしていたように。笑顔で迎える私の前に彼はいつの間にか姿を見せなくなって、今度こそ途方に暮れた。
 会えなくなっても、時折、彼の気配を感じることがあった。傍を離れた訳ではないらしい。まだ本当に愛想を尽かされた訳ではないらしいことに、どれだけ安堵したことか。
 今はただ、待っている。
 もうひとつ寝返りを打ち、薄く目を開いてみる。冴え冴えとした月明かりに照らされた露台に、彼の姿を探したがやはり見つからなかった。
 ふと、違和感を感じる。呼んでみようか、と思ったが、もう長い間口にしていない音は上手く声にならなかった。何かを忘れているような気がするが、どうにも思い出せない。不安になって目を瞑ると、優しく包むような雨音だけが届く。胸の奥が妙に疼いたが、気にしないように努めた。
 ただひたすらに、彼のことだけを思う。一番愛しい人の姿を。心をもらえないなら、他のものをもらう、と言ったあの日の彼の瞳を。
 それが何であろうと、私は彼に引き渡す気でいた。彼が望むものは何でも差し出そう。その時までは、彼から零れる思いをただ受け止める。ずっとそうしてきたように。かつては優しさと愛の言葉を、今は歪んだ執着を。
 どうしようもなく憎まれている自分を哀れみ、悲しんで、ただひたすらに注がれる思いを、自らの涙と変えて流してしまえたのならそれが一番楽なのだろうが、その道を選ぶつもりはない。
 憎しみと執着の雫がいつかこの胸に溜まり満ちて湖になり、海になり、その底に沈められるのならそれもいいだろう。
 それこそが彼の望むところなのかもしれない。
 かも、しれない。
 小さく欠伸をして、敷布に指を滑らせる。今日は来ない。今日も、来ない。でも、彼の気配はまだここにある。恵みの雨が、眠りに落ちるまでは止まないように願った。

 彼の望みなんて、彼の心なんて、今の私にはわからないけれど。
 けれど、だから、せめて。
 彼から与えられたものを、もう何ひとつ手離す気はなかった。



 
"Even Madness."

2009.09.23

基地外レハト。
普通に憎悪エンドを考えると犯された挙句の心中くらいしか思いつけないので、
ハッピーエンドを必死で模索した過程がこれだよ。