*** 神風、吹いた

(トッズ護衛就任後:一人称「僕」:「愛する人は心も近く」の両思い)




「馬鹿って言った」
 いきなり、何の前置きも無く投げつけた言葉に、トッズは「へ?」と間の抜けた返事をした。ローニカは僕のおねだりを叶える為に城下町にお出かけ中。少なく見積もってもあと数時間は邪魔は入らない。更に此処は城から歩いて一時間、何処までも広い広大な中庭の更に目に付かない茂みに囲まれた一角。食堂からくすねてきたお菓子とパンを広げて、天下無敵のピクニック状態。少し風が出ているけど、お天気は上々だ。
 そんな久々の二人きりの時間に、トッズは終始伸びた鼻の下を隠しもせずに上機嫌だったわけで、「ちょっと大事な話をしよう」と言う僕に「えー何々!」と喜色満面で食いつく有様だったわけで。
「馬鹿って言った。2回も。場合によっては更に1回追加」
「え、は、そ、というかちょっと待ってレハト何受信してんの」
 いきなり険のある言葉を投げつけられる心の準備は全く出来てなかっただろう。
 場合って何、と聞くトッズには答えず、僕はじとりと更に睨んでみる。わかってない筈はない。会った最初の時から今に至るまで、トッズが僕にくれる言葉は全部僕に聞かせる為に選び抜かれたもので、それが思わず崩れた時と言えば。
 案の定、無言のままの視線に絶えかねて、トッズはお手上げの姿勢をとった。そのままでまくしたててくる。
「あーはいはいあの時ね。言いますよ!そりゃ言うよ言っちゃうでしょ言わせてよ!だってあん時心底あーこの馬鹿!って思ったんだもん!嘘でもいいからあそこは頷いとかないと後の万が一の機会すら無いでしょうが!大体、あそこでお前さんを掻っ攫ってきた俺が更に掻っ攫わなかったらレハト一体どうなっちゃってたと」
「手始めに拘束監禁、僕の意思は皆無のまま旗印にされて反乱内乱、後はまあ男を無理矢理女に番わせるより女を無理矢理孕ませる方がずっと楽だから選択の余地もなく女にされて印持ち産ませる道具で飼い殺しかな」
 口から先に生まれた男が絶句している様というのはそれだけで事件だ。というかあそこで頷いちゃったらそこで終了じゃないか。色々と。
 トッズはしばらく口を開けたり閉めたり、手を挙げたり下げたりしていたが、そのうちにがくりと頭も肩も腕も下げた。特に異論は無いようだ。
「……なんで、そこまで分かっててあそこまで全力否定しちゃうかねぇ……」
「母さんの趣味はあそこまで悪くない」
「そこですか」
 このマザコンめ、と聞こえた気がしたが賞賛だと受け取っておくことにする。大体未分化の子供相手に入れあげて仕事放棄までしたロリコンが何を言うのか。
 あそこで、あの時点でそこまでわかってた訳じゃない。あの時わかったのは、これからどう転んでもろくでもないことになるだろう、程度のこと。それから、ずっと騙されていたこと。
 そして騙されていたにも関わらず、納得しこそすれ、トッズを恨む気がさらさら起きないこと。
 トッズは盛大にため息を尽くと、神妙な顔を作って敷布の上にどさりと腰を下ろし、勢い良く頭を下げた。
「訂正します。レハトはちっとも馬鹿じゃない。意地っ張りさんだとは思うけど!」
「やっぱ馬鹿でもいいですごめんなさい」
「ええぇー!?」
 えー何それそれ何こんだけ脅しといて!とトッズが騒ぐ。頭上を覆う木の枝から小鳥が二羽、チチチと慌てて飛んでいった。お邪魔しました、かな。ごめんね。
 これ以上逢瀬中の小鳥やらその辺でお昼寝中かもしれない猫さんにご迷惑をかけるのもなんなので、とりあえずトッズの膝に乗り上げて、首に腕を回してぎゅうとしてみた。ぐえという音が耳元で聞こえた気もするけど気にしない。体をずらし、肩に額をこすりつけてしばらくそのままじっとしてると、んー、んーと困ったような間があって、それでもちゃんと背中に掌を回してくれた。
「だってやっぱり馬鹿だもん。トッズの命乞いしちゃうぐらい」
「……後悔してる?」
「思ってもいないこと言うの禁止」
「はーい」
 背中をよしよし、と優しく撫でられると体の力が抜ける。……この人、あの父だと名乗った男なんかより、よほど僕のお父さんなんじゃないだろうか。今ならお父さん!と叫んであげてもいい。正直嫌だけど。それだけじゃ嫌だけど。
「あーもー……。ほんっとレハトは向こう見ずにも程があって俺心配。ついでに大分お天気屋さんね。そこが可愛いんだけどお願いだから売られる喧嘩片っ端から買い取るの止めてね?いやまあ俺が全部更に高値で引き取っちゃうんだけど」
 やっぱり叫んでやろうかと思ったけど、背中に回されている手の片方が背中から腰の更に下にそっと降りてきているのでやめておいた。世の中のお父さんはセクハラはしないだろう。多分。
 騙されたのは自分が悪い。それはしょうがない。トッズの手際はそれはもう鮮やかだった。まんまと丸め込まれた当人が一番納得してる。一緒に居て楽しかったし、トッズがしてくれる話は何でも面白かった。トッズが僕にくれた笑顔もお話も、全部が出鱈目だったとしても、それを受け取った僕の気持ちは、嬉しかった気持ちは、偽者にはならないし出来ない。
 母さんを亡くして何もかもどうでもいいと思ってた僕が、毎日目が覚めるのが楽しみになった。だからかまわないと思ったのに。充分に満足も感謝もしてたのに。
 なのに助けたりするから。怪我してまで、命を賭けてまで助けたりするから。
 僕も、それからトッズも、本当に馬鹿だ。売り飛ばす目的で近づいた男に文句の一つも無いなんて。たらしこむ筈の獲物に絆されて助けるだなんて。
 しかも今やお互いそれだけじゃ満足できなくなってるなんて。
 さわさわと渡る風が、僕と彼の髪を揺らしていく。目を瞑ると浮かぶのは、見慣れた飄々とした顔じゃなくて、歪んだ必死の形相。僕を守る為の。
「……あの時、風が吹いたみたいだった」
 ぽつりと呟くとトッズは相変わらず黙ったまま、けれど背中を抱く力が、ほんの少し強くなった。こういうところがずるいと思う。どうでもいいところはどんどん流すくせに、肝心なところは絶対に逃がさない。
「俺もそう思ったよ」
 耳元で聞こえる声音は、何処までも優しい。
「そりゃあもーぐだぐだ色々考えてたのがどうでもよくなるような、背中を突き飛ばされるような、すっごい暴風ね。息も出来ないぐらいの」
「……怖かった?」
「怖かったなぁ」
 背中を撫でていた熱い掌が、そっと僕の頭を抱えてぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜる。頬を撫でられて、目を覗き込まれた。
 なす術もなく、攫われるしかない、強い強い、風。
「すっごい怖かったけど。そーね、ちっとも嫌じゃなかったよ」
 むしろ快感?あはははー、と、僕の顔を覗き込んで笑う。その笑顔は、幸せそうではあるけれど、それ以上のことは何も読み取れない。
 色々と考えてしまっていた理由は、多分僕の上にだけあるものじゃないんだろう。トッズは自分の今までの話をほとんどしないけど、少なくともあまり幸せじゃなかったんだろうな程度の想像はつく。想像しか出来ないのが悔しい。きっと、ずっと僕に話してくれるつもりはないだろうことが悔しい。
 トッズを、今度は僕が掻っ攫わなくては。引きずり込まなくては。もっと完膚なきまでに、絶望的に、僕に。額の印なんか目に入らなくなるぐらい、強く光って目も眩ませて、後ろを振り向く余裕なんかないぐらいに。そうしないと多分、色んな、僕が勝ちたいものに勝てない。トッズを守れない。
 守られるだけじゃ嫌なのに。この人の過去も未来も全部欲しいのに。まだ足りない。まだ。

 だけどあの時吹いた風が、きっと邪魔なものを全部吹き飛ばしてくれるから、大丈夫。

 何かを、誰かを心の底から望むのは、人生で初めてだな、と思った。
 そのままトッズに告げたら、俺もそう思ったよ、と、子供みたいな顔で笑ってくれた。



 
"Falling In Love"

2009.09.23

眠れる獅子の目覚め。