*** ハッピー・バッドエンド

(最終日状態、印愛マイナス35以下・トッズ好愛35以上:「告発しない」選択)




 真実はそれを語る人の数だけ存在するが、事実は一つしか存在しない。

 例えばあの日、子供が俺を憎んでいると言ったこと。
 例えばその時、彼が女を選んだこと。
 例えば今夜、寵愛者様が自分の寝室に、胡散臭い男を連れ込んでいること。

 そこから派生する「真実」はその事象を観察する人間の数だけ生まれても、事実は事実。起きてしまったことは、何も変わりゃしない。
 そして至極残念なことながら、現状を率直に述べると胡散臭い俺は寝台にではなく床に寝っ転がっている。というか足払いをかまされて素っ転ばされた。流れるような動きで俺の上に乗り上げたレハトの細い、けれども力強い指は、俺の首の一番太い血管を正確に押さえている。
 ほんと、寝台の上ならいいのに。腹の上の柔らかな太腿の感触を服越しじゃなく直接十二分に味わってみたい。そう思った瞬間額がぐっと押され、後頭部を石造りの床に強かに打ちつけた。眼の奥に火花が散る。真剣に痛い。
 俺の上で俺を射殺すような視線で見ている女は、まだ性を持たない子供だった頃、俺の想い人だった。髪が伸び身体付きが変わっても、瞳の強さだけがあの頃と同じものだ。そこに宿る光の色はあの頃と、随分かけ離れてしまったけど。
 どうして。
 女が、俺に問いかける。
 いつもいつも逃げないの。
 そう囁く声には何の感情も乗っていない。
 さーね?
 軽い調子で言葉を返すと、綺麗な線の眉が歪んだ。
 まあどうだっていいじゃないのレハト様。今更よ。
 へらりと笑ってやると睨みつけてくる眼の光が一段強さを増した。
 ……さぁ、今夜も荒れますね。どうぞどうぞ、お好きになさって下さいな。
 激しいのはね、嫌いじゃないよ。



 夜風が服の上を撫でる。その下の真新しい傷が生地に擦られる痛みにトッズは眉を顰めた。
 今日もくたびれた。お疲れ様でした俺。もうちょっとしたらねぐらに帰ろう。汚れた服は水につけといて明日洗おう。そうしよう。
 やるだけやってひとしきり満足したらしいレハトは、ぐったり床に転がるトッズに目もくれずさっさと寝てしまった。やれやれと立ち上がって寝顔をちらりと拝見し、そっと塔から抜け出すのもいつもの通り。その後近くの中庭の茂みで、星を眺めながら簡単な手当てをするのもいつもの通り。
 あーもー痛い。地味に痛い。擦り傷切り傷打ち身ってジワジワ来る。いっそ思い切り良く深くやってくれりゃあ楽なのに。
 化膿すると厄介なので消毒として酒だけぶっ掛けて後は放置した。あんまり丁寧に手当てをしておくとまた機嫌を損ねてしまう。お姫様は体中に浮いた傷だの痣だのを見るのがお気に入りだから。脱いだ服をもう一度着込むと、ひねり挙げられた腕の骨が妙な風に軋んだ。
 以前は素直で純真で真っ直ぐだった子供は、大事なものを何もかも奪われて、虚仮にされ続けて傷ついていた。それでもようやく笑顔で居られる場所を見つけたと思ったのに、それは子供を狙った罠の中でしかなかった。手酷く裏切られた子供の心が今度こそ修復不可能なまでに歪んでひん曲がったとしても、なんの不思議もない。その憤懣の先が騙した張本人の自分だったのも当然だ。
 飼い殺してやると通達されたあの日、基本は大人しい質のレハトに出来ることはせいぜい自分を逃がさず一生この城に縛り付けることぐらいだとトッズは思っていた。暴力で以って痛めつける方向で来た時は少々驚いたし、感心さえしたのだ。それでも最初は殴る蹴るひっぱたくの可愛いらしいものだったのだが、「いつか俺いじめ殺されるかも」と思った「いつか」は「そのうち」に変わり、最近では「かも」が取れそうな域に突っ込んでいる。今夜はとうとう刃物持ち出してきたよレハトってば。
 逃げるだけなら出来ないこともないだろう。所詮飼い殺されている身の彼女は無力だ。追っ手を仕掛けるにも手段も伝手もほとんどない。今のレハトに出来るのは、それこそ護衛に虐待を加えることぐらい。積もりに積もる鬱憤を、ただトッズにぶつけるだけ。
 それこそレハトがまともに視界に入れている他人はトッズぐらいで、このままではろくなことにならないのは目に見えていた。目の前から消えてやった方がいっそ親切なのだと思う。少なくとも今の袋小路からは逃れられるだろう。ひょっとすると絶望して露台あたりから身を投げる可能性もあるけれど、それでもここで二人、ぐずぐず腐り果ててゆくよりはマシなのかもしれない。

 それでも離れてやれない理由は、なくもないけれど。

 ただそれだけのために、ここでこのまま飼い殺されて朽ち果てるつもりでいる自分が居て、俺も度し難い馬鹿だよねぇ、とトッズは一人ため息をついた。これは欲だ。あるかもしれない現状打破より、そうしていたいという我がままだ。
 ごめんな。
 何もしてやれなくて。助けてやれなくて。
 口が裂けても胸が裂けても伝えるつもりのない言葉が、トッズの頭をよぎる。
 何もする気がなくて、ごめんな。
 俺は今、結構幸せだから。

 単に捨てるのさえ面倒くさいのかもしれないし、そもそも意識にさえ上らないのかも知れないけど、別にそうだとしてもかまわなかった。真実なんか知りたくもないしどうでもいい。変わらないのは事実だけ。それがまだそこに在る、ということだけ。

 立ち上がると胸がずきりと痛んだ。息を一つついてやり過ごした。
 背を向けた塔の中、瀟洒で豪華な彼女の寝室の、小さな文机の引き出しの奥の奥で、安物の指輪がひっそり眠っていることをトッズは知っている。
 愛が欲しいと言った子供に、彼がくれてやった玩具みたいな指輪が。



"That's all."

2009.09.23

全部彼の欲。